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不在を歴史化する。実験・哲学小説。
「言葉だけが自我を純粋に言い表すことができる」(G・W・F・ヘーゲル)
1845年9月29日、鄭琉崑17歳はコケンタラ国賢者の奉仕者として川舟で上京途中、戦争遺児の尋樽緋蘭と邂逅。一方、緋蘭は母の死後、父戦死の経緯の探求が目的だった。上京後、首都に滞在中、琉崑と再会。英東インド会社所長夫妻ら英人とも友人となった。図書館などでは亡父の関係書類はすべて閲覧拒否された。カフェでは新聞記者ジンジャロから記者業を教わる。情報省の諜報員音樋との会見も設定してくれ、音樋は父の元部下と判明、生前の父がビルマでは好感されたと知らされる。琉崑のほうは午前中チーロロ賢者に仕えながら、午後、同僚の奉仕者たちと交流。西の賢者の奉仕者セキジュが西洋を称揚し、国家転覆を狙う反体制の活動を吹聴。琉崑は緋蘭から西洋思想を習い、反論に転じた。激論が一段落すると図書館で民俗的調査をしたり、民話の収集活動に移る。偶然、波止場で見かけた下働きの女児サーリと再会、貧民の暮らしに心を痛める。緋蘭はジンジャロを通じて、ギービン工場地帯で、工員たちがオルグの指導で権利に目覚めたことを知る。その間、複数の殺人事件が発生。犯人追及につれ、次第に社会の闇が明らかになっていく。暴動が起こって多くの犠牲がはらわれたあげく、謎が解かれたものの、また次なる謎が現れてくる。《真っ先に犠牲になるのが「大衆」であり、最後まで犠牲になるのが「大衆」である》という緋蘭の試論は表面上的中した。琉崑は帰郷し、友人と新たな暮らしを企図。首都で身を立てる計画に勤しんだ。……アジアを舞台にした「ザ・グレート・ゲーム」。波瀾にとんだ実験的「哲学小説」の誕生!