特許法における進歩性要件 — 基礎理論と日本,中国,ドイツ,EPO及び米国の裁判例分析

時井 真 著

12,100円(税込)

信山社出版株式会社

◆国際的な視野から、裁判例の実像を統計的・具体的に考察。「進歩性」に関する様々な論点に関する各法域の傾向を明確化し、その基礎理論へ重要な視座を与える◆

(「はしがき」より抜粋)

本書は,元々,特許要件の1つである進歩性を裏付ける唯一の基礎理論はあるかという問題意識から作成されたものである。そうした基礎理論の候補として,自然権論,法と経済学,自然権論に転向したといわれるMergesの議論の3つを用意した上,第Ⅰ部では,①なぜ発明者が実際には参照していない出願時出版物も引用例たりうるのか,②請求項発明に到達する実験の回数を進歩性要件でどう評価するかの二つの論点について,それぞれの基礎理論からの説明を試みた。

次に,第Ⅱ部では,中国,EPO,BGH(ドイツ最高裁),日本及び米国の進歩性に関する裁判例約2,400件超を一定の視点から統計的に分析すると共に,裁判官(審判官)は,具体の事案を解決すべく結論を下しているのであり,過度に統計分析に陥らないよう,同時に,約2,400件の裁判例について,いわゆる判民型(後記)の分析手法を用いて裁判例の実像を明らかにした。弁護士,弁理士のもとに相談に来たクライアントとしては,裁判例の文言などはどうでもよいから,自己の個別の相談案件に対する回答が欲しいはずである。筆者が理解している判民型の裁判例分析手法とは,下級審の裁判例の規範の部分のみを取り立てて判例であると理解するのではなく,具体的な事案に対して裁判所が下した判断(いわゆるあてはめ)の部分を一段階抽象化し,このレベルで多数の類似裁判例と比較検討することにより,裁判例を体系的・網羅的に整理する方法である(判民型の分析手法を私に徹底して伝授して頂いた恩師である田村善之先生が書かれた判民型の説明として,田村善之「判例評釈の手法―「判民型」判例評釈の意義とその効用」法曹時報74巻5号11頁以下(2022年),末弘嚴太郎「判例の法源性と判例の研究」同『民法雑記帳(上)』(末弘著作集Ⅱ・第2版・1980年・日本評論社)39-40頁[1941年初出])。そして,本書が用いた判民型の裁判例分析手法は,本書の研究書としての価値のみならず,前記クライアントに対する回答を与える点で実務書を作成する上でも有益であると考えた。筆者が博士研究員として所属していたドイツのマックスプランク研究所(ミュンヘン,2017年~2019年)に,判民型とは何かを一切説明せずに本書の一部を英文で最終報告書として提出したところ,多数の裁判例をformulate(公式化する)作業であるとの評価を頂き,本書第Ⅱ部の分析手法を良く言い表しているように思われる。

そして第Ⅱ部では,第Ⅰ部で進歩性の基礎理論として有力視された自然権論と法と経済学が,それぞれ,その下位規範である技術的貢献説(進歩性という当該要件の通称の通り,請求項発明が引用例を含む従来技術に対して技術的に貢献したか,あるいは,技術的裏付けのある出願か否か)と非容易推考説(引用例に基づいて当業者が請求項発明を想到することが容易か否か)とを通して,裁判所及び特許庁で実務に耐えうる判断基準を提供していることを明らかにした。

第Ⅲ部では,法と経済学が非容易推考説を通して,また,自然権論が技術的貢献説を通して,それぞれ実務に耐えうる下位規範を提供しているという第Ⅱ部の結論を踏まえて,進歩性の背後には法と経済学及び自然権論の双方が存在するという第Ⅰ部の仮説を立証した。併せて,日本法への提言を行う上で直近の進歩性に関する裁判例412件(2018年から2022年)を分析し,第Ⅱ部第2章日本編の分析結果(2014年,2017年)と大差ないことを確認した上で,非容易推考説を貫徹した場合の問題点及び最判令和1.8.27平成30年(行ヒ)第69号を素材に,非容易推考説と技術的貢献説の組み合わせ方という本書の分析視点を用いて新たな視座を提供することとした。