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中田考、橋爪大三郎
クルアーン知らずしてイスラーム理解なし!
イスラームの側からものを見たら、世界はどうみえるのか。
日本人のクルアーンの読み方は本書ですべて更新される。
イスラームについての本が、書店にあふれている。
本書『クルアーンを読む』はそれらと、根本的に異なっている。
イスラームにコミットする、内在的視点から議論を組み立てているからだ。
対談者のひとりである中田考は、イスラームの研究者であり、ムスリムである。中田氏が本書のなかでものべているように、わが国のイスラーム専門家は、ムスリムでない人びとが大部分である。イスラームの信仰をもつ人びとがほとんどいない。このため、イスラーム世界に内在する議論ができにくくなっている。そこで、日本語で書かれたイスラームについての本を読めば読むほど、イスラーム世界についての偏った像を描いてしまう心配がある。もうひとりの対談者である私(橋爪大三郎)は、ムスリムではない。しかし社会学者として、宗教についての議論をするときは、その宗教に内在する視点を大事にするように心がけてきた。ある宗教を客観的にとらえるためにも、その宗教を内在的に理解することは、とても大事なのである。
イスラームに内在する視点は、イスラームに味方するという意味ではない。イスラームの側からものを見たら、世界はどうみえるか、十分に踏まえるという意味である。これはまともな議論の、出発点ではないだろうか。(中略)
タイトルからわかるように、イスラームを理解するための根本『クルアーン』を、読解し理解することを目的とする。とりわけ、中田氏の適切な道案内により、初学者や門外漢が陥りがちな誤りを回避し、『クルアーン』とイスラームの核心にストレートに迫る内容となっている。副題「カリフとキリスト」は、イスラームとキリスト教文明との微妙な齟齬と対立を意識しつつ、現代世界の根底にある構造をつかみ取るという狙いを表現している。
欧米経由の情報はしばしば、無意識のバイアスを含んでいる。それを補正し、より客観的な世界の像を手に入れるために、本書が役立つことを期待する。(橋爪 大三郎「まえがき」より)
イスラームを学び始めた者は、キリスト教徒にとっての聖書にあたるものがムスリムにとってのクルアーンだ、と思うかもしれません。確かに、聖書もクルアーンも本である点では同じですので、そうした理解もあながち間違いとは言えません。
しかしそうした表面的理解ではクルアーンの重要性を見誤ることにもなります。
というのは、イスラーム神学的には、クルアーンは神の本質と一体である属性の一つ、御言(カラーム)であり、キリスト教でいうと神の位格の一つであり神の御言(ロゴス)であるイエスに相当します。キリスト教においては、真の神の言葉とは、イエス自身であり、聖書ではないのです。 (中田 考「あとがき」より)